「頑張れ」
 って人に言われるのは嫌い。人に言うのも嫌いって人、いるよね。
 無責任に「頑張れ」って言われたくないとか、言いたくないとか?
 うん。わかるよ。それもわかる。でもさ、オレ、「頑張れ」って言われるの嫌いじゃないんだよ。人にだって言っちゃうしな。
 あのさ…
「頑張ってね」
 って言ってくれた女の子がいたんだよ。その昔ね。
 今でも頭の中にその言葉が響くんだよ。
「本当にやりたい仕事を見つけられる人って少ないと思うんだ。キミはそれを見つけられたんだもん。 頑張ってね。絶対に最後まであきらめないで頑張ってね」
 ずっと長い間、仕事や夢について話してきた子だった。
 その子が夜中に突然やってきて、玄関で立ったままオレに向かって一生懸命に話している。
「でね、私さ…。私…」
 次に出てきたのは実に予想外な言葉。
「結婚しちゃうの。田舎に帰って結婚しちゃうから…もう、今までみたいに色んな話を二人ですることが出来なくなっちゃうんだけどさ…」
 ポロポロ泣きながら何度も何度も言うんだよな。
「キミは…頑張って!」
 あれは、もう何年前の夏なんだったっけか。


        EPISODE 15 : 鋼のように、ガラスの如く


 笠さんの髪がピンクだ。見事にピンクだ。
「ヒロセ君、みんながこっち見てるよ。恥ずかしいよ」
 と笠さんが言う。
 そりゃそうだ。新宿はスタジオアルタの前を歩いていて、いきなりアルタ正面玄関のエレベーターからピンクの髪の笠さんが出てきたら… そりゃ、みんな見るだろう。オレだったら見る。きっとジロジロ見る。「あ、C−C−Bだ」って指さしちゃうかもしんない。
「みんなが見てるのは、笠さんがスターだからですよ」
「そうかなぁ?いや、ウソだ!」
「車まであと少しです。頑張って歩くんです」
「うん。頑張る」
 物凄いバカな会話だ。
 かつてはピンクの髪で一世を風靡した笠さんも最近は普通の黒髪だ。当然だ。笠さんも40代半ば、あまり毛根をイジメてはいけない。 しかし今日は『笑っていいとも』にゲスト出演だから、特別にヘアメイクさんをつけてピンクにしたのだ。 しかも一回白を入れてからピンクを入れたから、実に見事なピンクなのだ。本番終わりでヘアメイクさんは言った。
「じゃ、ここで髪の毛の色を落としていきますか?」
 オレたちは揃って首を横に振る。決して縦に振るワケにはいかなかった。
 意外そうな顔のヘアメイクさんに挨拶してエレベーターに乗り込む。
 帽子で隠すことさえ許されない。セットが乱れるからだ。



                    ●                       ●



 それは昨日のリハーサルの休憩時間のこと。
 雑談の中で「明日のいいともはヘアメイクさんがついて、髪をピンクにするんですよね」と誰かが言った。 オレだったかもしれない。その瞬間、ウチの遠藤Pの眼鏡が光った気がした。いや、確かに光った。
「じゃあ、笠さん。明日はそのままピンクの髪でスタジオに来て下さい。ピンクの髪で物販用の写真を撮りましょう」
 吸いかけのマイルドセブンを灰皿にグリッと押しつけ、遠藤Pはにこやかにそう宣言する。
「…え?」
 笠さんが固まる。
「いや〜、ピンクの髪で物販用の写真。イイですね〜。こりゃ売れますよ、笠さん」
 おどけるオレがいた。物販がうまくいくかどうかで、メンバーやスタッフにギャラが出せるかどうかが決まるのだ。
 隣には無表情にタバコを吹かすクールなギタリスト・丸ちゃんがいて、決して遠藤Pとは目を合わせようとしないローディ・渡辺君がいる。
「笠さん、遠藤先生の言う事にゃ逆らえねぇよ…」
 呟いたのはベース・カツ君だ。
 リハーサル初日。気合の入ってないルカスマメンバーを、大声で叱り飛ばす遠藤Pの姿にバンドメンバー全員の背筋が伸びた。 冗談ぬきに、その瞬間バンドメンバー全員(渡辺君含む)の背中がピクッと震えたのを確かにオレは見た。 「オレ、親にもあんなに怒られた事ねーよ。こえーよ」とカツ君がこっそりオレにささやいた。 その瞬間から遠藤Pはみんなの『遠藤先生』である。
 黒い細身のスーツを着て、堂々と新しいマイセン6に火を点けるその姿を見てると、オレの頭の中に『女帝』という単語が浮かんできた。 タバコをくわえた瞬間に、思わずライターを差し出したくなる貫禄だ。
「わかりました。明日はピンクの頭で帰ってきます」
 笠さんが言う。
 『女帝』以外に、なぜか『加藤か志子』という単語が頭に浮かんですぐ消えた。



                    ●                       ●



 で、オレたちは新宿東口駐車場でコソコソとヒロプロ号に乗り込み、イソイソとリハーサルスタジオに向かうのだ。
「笠さん、お腹減ってません?リハーサル開始まで少し時間あるから、どっかでランチでもしますか?」
「イヤだよ〜。こんなピンクの頭でファミレスとか入りたくないよ〜」
 笠さんが駄々をこねる。
 ここ何日か、笠さんが東京にいる間はマネージャー代わりとして一緒に動いているが、これがなかなか面白い。 知り合ったのはもう10年くらい前だが、こうしてちゃんと組んで『仕事』をするのは初めてだ。 考えてみりゃ18年間も芸能界でメシ食ってるけど、ミュージシャンのマネージメントはやった事なかったな。 そして、彼がまた、実に愛すべき人間である。
 結局、その日のランチはオレのボロアパートで、二人でモソモソとテイクアウトのフレッシュネスバーガー食ってるワケだ。
「あ、ヒロセ君。最後のオニオンリング食べちゃっていいよ」
「そりゃどーも。で、笠さん」
「何?」
「晩飯どうします?今からリハやって、終わるの20時半だから…」
「う〜ん。髪の毛がピンクだからな〜。何か買ってホテルの部屋で食べてもいいし…」
 笠さんがオレの部屋を見回して言う。
「別にボク、この部屋に泊めてもらってもいいんだけど?」
「ちょ、ちょっと」
「だってね、もう昔の売れてる時とは違うワケじゃない。熊本からの往復の飛行機代もかかるし、ホテル代だってバカにならないじゃない。 赤字になったらヒロセ君に申し訳ないしさ…」
「何言ってんですか、笠さん!もう年なんだから、ちゃんとしたトコ泊まってゆっくり寝ないと疲れ取れないでしょ? まぁ、ちゃんとしたトコっていうか安いビジネスホテルですけど…。それに何とか赤字にならないようにしますよ。 その為のヒロプロプロデュースですから」
「ホント?」
「大丈夫です。その為の物販で、その為のピンクの髪なんですよ」
 オレはニヤリと笑って片目を閉じる。
「いいですか?ライブでも演劇でも、実は主催者や事務所が一番力を入れるのは物販なんです。普通にライブや公演うったら、 チケット完売でも経費やら何やら差っ引くと赤字になる事が多いんです。ウチみたいに小規模にやるところだと、 広告宣伝効果がないからスポンサーなんてつきませんしね。だから物販が生命線なんですよ。 これはライブハウスでも武道館でも、小劇場でも新宿コマや明治座でも、規模は違うけど同じこと」
「そうなんだ」
「色紙とかツーポラとか、まあ今回は品数少ないけど、その売り上げで打ち上げが出来たり、メンバーに少ないけどギャランティを 払ったりする事が出来るワケです。ツーポラ千円とか高いと思いますけどね、でもそれはファンやお客さんに支えてもらってると感謝するんです」
「うん」
「でも、感謝はしても頭を下げすぎちゃいけないんです。胸を張って『ありがとう』と笑顔で言うんです。 ファンはアーティストには誇り高くいて欲しいもんなんです。決して奢らず偉ぶらず、かといって卑屈にはならず」
「勉強になるよ」
「ウチの遠藤さんなんて、メンバーだけじゃなくてファンも叱り飛ばしてますからね。新しくルカスマのファンになった人は大概ピックリします」
「さ、さすが遠藤先生だね」
「そのくらいでいいんです。偉そうだけど、ハートがあるのがウチ流なんで。通じる人には通じるし、通じない人にはどうでもいい。それもウチ流。さ、そろそろ行きますか」
「うん。あ、晩ご飯なんだけどさ、あそこなら行ってもいいよ。昨日行ったK月。」
「…いいですよ。じゃあ、K月で」
 ピンクだから他のお店はダメなのに、なぜK月ならばいいのか?
 その答えはいまだに解らないのだが、晩飯はこの日も、次の日も、はっきり言ってしまえば毎晩K月であったことを追記しておこう。



                    ●                       ●



 待ち合わせ場所である、都内の喫茶店に現れたのは40代半ば位の男性だった。中肉中背でこれといって特徴のない顔をしている。
「あ、どうもはじめまして。私…」
 名刺を交換する。初めて聞く名前の会社だ。
 ま、ウチも人様のこたぁ言えないんだけどさ。
 世間話的に今のジュニアアイドル界の状勢やら、業界裏話などを話す。
 何かね、DVDや写真集の制作やら、コーディネートやら、色々やってる会社らしい。ウチのHPを見て、ルカスマに興味を持っているという事だった。 DVDと写真集の企画をいくつかの出版社と制作会社に持ち込みたいと電話では言っていた。提示されたギャラも悪くはなかった。
 ま、そこまでいい額でもないんだけどさ。
 オレが渡したタレントプロフィールを「ふんふん、なるほど」とか「いいですね〜」とか言いながらめくっていた男は、ふと顔を上げて言った。
「で…」
「で?」
「いやね、この子たちって、どのくらいまで頑張れますかね?」
「頑張る?」
「いやね、最近は普通に写真集はDVD出しても売れないじゃないですか」
 そうだね。
 オレも最近の状況はおかしいと思うよ。中学生や小学生の女の子にまでTバック水着とか手ブラとかね。 どう考えてもおかしいもの。消費者のニーズがどうこう言う前に、ちょっと越えてはいけない一線を越えちゃってる気がして、何だか怖くなる。
「あのですね…」
 言いかけて迷う。
「え?何ですか?」
「あー、えっと…」
 何て言や伝わるかな?話しててわかるんだけど、この人も悪い人じゃないんだよな。
 ま、いい人でもないんだけどさ。
「この子ね…」
「ああ、遠藤るかちゃん。可愛いですよね。ルカスマのリーダーでしたっけ?16歳で高校生だけど、中学生にしか見えないし、このタイプなら…」
「この子ね、6歳の時から一緒にやってるんですよ。最初は人見知りで声が小さくてね、泣き虫で不器用で、人一倍何やらせても時間がかかるんだ。 だけど、努力も人一倍する子なんですよ。いつも一生懸命でね。絶対、何とかしなくちゃいけない子なんだよなぁ」
「はあ」
「この子ね、さりかっていうんだけど、一見べらんめえキャラなんだ。言葉使いが悪いと頭はたいてやるんですけどね。 でも、実はすごく気が小さくて細かいこと気にしてね、すぐ胃が痛くなっちゃうの。んで、こいつも泣き虫なんだ。 しょっちゅう、るかと一緒に泣いてるの」
「はあ」
「この子は智美っていうんだけど…」
「あの」
「今のU−15の現状くらいは把握してるつもりなんですよ、これでも。大きな芸暦がなくてもU−15ってカテゴリーの中でなら写真集とDVDが出せる。 ブルマに体操服、スクール水着ならそれなりにはける。ちょっときわどい路線を狙えば、ますますはける。大手じゃない小さい事務所なんて、 毎月自転車操業のトコが多い。それなりのギャラが提示されたら…のっちゃうよねぇ、やっぱり」
「…あの」
 相手の戸惑ってる表情がわかる。でも止まらない。
「でもさ、オレにはやっぱ言えないわ。だって、それって『頑張らせる』じゃなくて『我慢させる』だもの。 歌や、ダンスや、芝居については厳しくダメ出しするし、頑張らせるけどさ、こういうのは頑張らせられないわ」
 席を立って、頭を下げる。
「ごめんなさい。時間、無駄にさせちゃいましたけど、ウチはこの話のれません」
 その男性は怒らなかった。また機会があればとか何とか言いながら席を立っていった。 ちゃんと二人分のアイスコーヒー代も払っていってくれた。いい人だ。
 ま、またの機会なんて絶対ないんだろうけどさ。
 喫茶店を出ると、急にセミの声が耳に響く。
 近くに停めてあった車に乗り込む。暑い。スゲー暑い。カーエアコンは最強にしてもなかなか効いてくれない。 とりあえずタバコに火を点ける。車移動の唯一の利点はいつでもタバコが吸えるトコだな。イヤになるくらい晴れた空に煙を吹きかけてやる。
 頭をかく。貯金もないし、ルカスマのスケジュールだって埋まってるワケじゃないのに、何をカッコつけてんだ、オレは。
 でも、こんな時に空を見上げれば、決まって聞こえてくるのは彼女の声だ。
 『キミらしいじゃない』って笑う彼女の声。『頑張って』って言う彼女の声。その声に後押しされてここまで歩いてきたんだ。 このまんま、どこかに勤めて終わっていくのかなぁってボンヤリ思ってたオレが、独立を決心したのはあの夜だ。
 あの夜からだ。
 オレは何もあきらめない事に決めた。
 ウチみたいな小さな貧乏事務所でも、大したコネなんてなくても、タレントに魅力さえあれば、自分たちのやっている事が本当にいいモノであれば、 必ず見てくれる人がいて、チャンスが必ずやってくる、大きくなれると信じている。
 でも、たまに膝を折りそうになる時には、どこかから彼女の声が聞こえてきたり、夢の中にバスケットボールを持った白髪の男が出てきたりする。
 だから「一緒に頑張ります」って言ってオレについてくる娘たちには、周りにいる大人として、せいぜい『カッコつけた背中』と、『頑張ってる背中』を 見せなけりゃならねぇよなって思う。あいつらには「どうせ芸能界なんて大きい事務所が強いんだ」とか 「今、売れてるタレントや、お金持ってる所にはかなわないんだ」なんてしたり顔で言って欲しくない。 あきらめた顔で、したり顔で業界を語る子たちは、きっと周りの大人があきらめてるんだよ。
 あきらめんなよ。
 夢を売る商売だろ?夢を売ってる人間が、本気で夢を信じなくてどうするよ?
 好きで好きで、とことん好きで始めた商売なんだ。最後まであきらめずにいたいじゃないか。約束だってしたしな。
 あいつらに見せるのが、『カッコいい背中』じゃなくて『カッコつけた背中』てあるところが少々悲しいが…。
 まぁ、それもウチ流だ。



                    ●                       ●



 今日だけは一人で静かに飲みたかったから、近所の寂れたバーに立ち寄った。
 狭くて、ボロくて、暗いバーだが、いつも空いている所だけは最高だ。極度に無口なマスターが作るカクテルを片っ端から試して、 ヘロヘロで店を出たところでメール受信に気がついた。
 彼女からだった。
 今でも年賀状位は来るが、メールが来たのは何年ぶりだろう。
 文章はえらく簡潔で
『離婚しちゃった。やっぱり私、結婚には向いてなかったみたいだよ』
 苦笑。
 そして夜空を仰ぐ。
「時候の挨拶もなしでコレだけかよ」
 呟いて携帯を閉じる。
 蝉が鳴いている。


 返信はしなかった。
 今日も熱帯夜で、蝉の声がえらくうるさい。
 今年の夏はずいぶんと暑くなりそうだ。
『とにかく誰にも会わないで、勝手に酔っ払っちまった方が勝ちさ』
 そんなフレーズが頭に浮かんですぐ消えた。